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「生玉神社の場」を訪ねて:生國魂神社

曽根崎心中は実話に“もとづいて書かれた人形浄瑠璃の戯曲。
なかでもストーリー展開にアクセントを入れる九平次は実在しなかったと考えられています。
とまれ、北(堂島)新地と並んで欠くことのできない舞台は「生玉神社の場」で描かれた生國魂神社ではないでしょうか?


「諸芸の守護神も鎮座し、かつては官幣大社だった」



文学作品として『曽根崎心中』を読むとき、冒頭の「お初登場〜大坂三十三番観音廻り」は、読めば読むほど、この戯曲の結びとお初の心境を理解するうえで大事な条(くだり)。いっぽう、文楽(人形浄瑠璃)や歌舞伎をはじめとする舞台では、大坂三十三観音廻りが割愛され、「生玉神社の場」から上演されるケースがほとんどです。

ここで紹介します「生玉神社の場」について全くご存知でない方は、まず「あらすじで読む曽根崎心中」をお読みいただき、お初と徳兵衛そして九平次らが繰り広げるストーリー展開をつかんでください。それでは、曽根崎心中で描かれた生玉神社およびその周辺を、往時の面影を偲びながら紹介します。


生玉神社と周辺の地図。もともとは「石山本願寺」(現在は大阪城がある場所)に隣接していたが、
信長の本願寺攻めにより延焼。その後、豊臣秀吉の大阪築城にともない、
天正11(1585)年、現在の場所に遷座したとされている。

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谷町筋側にある表参道より。この手前の参道の左右に、多くのお茶屋や諸芸の小屋があったと伝えられている

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松屋町筋と千日前通りが出逢う交差点にある参道入口

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千日前通りを日本橋方面へと歩き真言坂を登ったところにも入口が

物真似聞きにそれそこへ



社寺への参詣といえば、今も昔も、信仰のみならず「物見遊山」的な楽しみも多いのではないでしょうか。昨今のほうが江戸時代よりも遊びのバリエーションが多いのかどうかはさておき、かつては、神社の境内や参道における「縁日」の賑わいのなかで多くの大衆文化が育まれ、貴重な庶民の息抜きの場でした。

『曽根崎心中の「生玉神社の場」では、田舎から来た客と大坂三十三観音をめぐり、生玉神社で休憩するというシーンからはじまります。そんな「おのぼりさん」にとって、都会の遊び場は、さぞやきらびやかに見えたことでしょう。
物真似聞きにそれそこへ声帯模写の小屋で楽しみ)」「晩まで飲み明かす」と調子ずく田舎の客を尻目に、退屈をしのぎながら茶屋で徳兵衛への思いにふけっていたであろう、お初。

「以心伝心」とは言い得て妙か。ここ生玉神社で二人は顔を合わせ、徳兵衛は自身の窮状を明かしたと思いきや、問題の人物・九平次も、仲間を率いて闊歩し姿を現します。

以上のようなストーリー展開、近松門左衛門による事実にはない創作と思われますが、その描写力やストーリー展開そのものが、リアルな生玉神社に多くの文化的な親しみを残してくれています。お初や徳兵衛、そして近松門左衛門が目に耳にしたような賑わいは、今の生玉神社周辺にはありません。でも、少しばかり想像をめぐらせ、わからないことを訊ねてみたりすることで、『曽根崎心中』のストーリー展開が、そこかしこで脳裏に浮かんできます。

幸いにも生國魂(生玉)神社参道に並べられた案内板がありました。曽根崎心中はもちろんのこと、古今を代表する文豪や往時の様子が紹介されています。以下に写真を掲載するだけでなく、文字起こししておきましたので、ご一読いただけますと幸いです。



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お初がお供した田舎の客も「諸国からの参詣者」

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「蓮池」「芝居小屋」「見世物小屋」……曽根崎心中を読むうえでのキーワードがずらり

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文豪ゆかりの地でもある

  • (※一枚目)
  • 生國魂神社の表参道(生玉表門通り)は谷町筋をまっすぐに渡り現在の新歌舞伎座へと続いていた、その両側には多数の店舗が立ち並び縁日(祭日)には提灯や紅白幕で飾りつけ諸国よりの参詣者で大いに賑わった商都大阪を代表する門前町であった、又
  • (※二枚目)
  • 参道の両側には蓮池(はすいけ)があり芝居小屋や見世物小屋が軒(のき)を連ね上方文化芸能の発祥の地として有名である、いまも上方落語の祖米澤彦八を顕彰して上方落語家総出での「彦八まつり」が盛大に催され往時の賑わいが再現される、また近松門左衛門の“生玉神社の段”から始まる「曽根崎心中」
  • (※三枚目)
  • 井原西鶴の矢数俳諧、谷崎潤一郎の「春琴抄」の舞台であり本年(※2013年)生誕一〇〇年を迎える「織田作之助」はこの“いくたま”の地で生まれ育ち、幼少時の神域での事を「木の都」で著し、今も信仰の続く巳(みい)さんの御神木の話で知られている、また五月五日(端午の節句)にこの参道で行なわれている「流鏑馬(やびさめ)」は殊(こと)に有名である

どこで徳兵衛と九平次の一悶着があったのか?



さて「生玉神社の場」では、貸した金をめぐって徳兵衛と九平次との間で一悶着おこります。しかも徳兵衛一人に対し、九平次は五人連れ。その様子が以下のように綴られています。


  • 「徳兵衛はただ一人九平次は五人連れ。あたりの茶屋より棒づくめ蓮池まで追ひ出し。誰が踏むやら叩くやらさらに分ちはなかりけり。」
  • 現代語訳

たった一人の徳兵衛に、九平次は五人連れ。参道ぞいにある茶屋からありったけの棒を持ってきては、徳兵衛を蓮池まで追い込み、みなで踏んだり叩いたり、よってたかって誰が誰だか区別のつかない様子でした。


くわしくは「あらすじで読む曽根崎心中」をご覧いただくとしまして、今もなお、蓮池が現存しているのか? とても気になるので確認してみました。が、池らしき水面は全く見当たりません。

そこで社務所へ向かい、若い巫女さんに訊ねてみたところ……

「少々お待ちください」

とのこと。どうやら事情を知っている人に確認している様子で、ほどなくして……

「生玉公園のあたりにあったそうです」

というお返事をいただきました。

先ほど紹介しました案内板では参道の両側に蓮池があったと書かれていますが、男複数人が暴れる場所としては、やはり現在は公園があるサイドのほうが広く、おそらく今は公園の広場となっている側にくだんの池があったのでしょう。

「生玉神社の場」で描かれたストーリーは架空の話というのが多くの識者による見解。それはそうとしても、当時は賑わいの場、今では憩いの場。時代の流れを感じつつも、これからも曽根崎心中を読み続けストーリー展開を想像するうえでは大事な確認作業でした。






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この参道の両側に蓮池があったというが……

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曽根崎心中で描かれた蓮池は現在の生玉公園内にあったのであろう

静かにたたずむ浄瑠璃神社で諸芸祈願


さて、ここ生玉神社の本殿裏側には、人々の願いを叶えるべく多くの神が鎮座しています。その奥の方に占いの館のような小さい建物もありましたが、訪れた日にはシャッターがおりた状態でした。

そんな余談はさておき、曽根崎心中のみならず近松門左衛門と切っても切れない関係にある「浄瑠璃」の神を祀った「浄瑠璃神社」があり、多くの絵馬がかけられていました。

「シカゴでバレエが成功しますように」「オーディション合格祈願!!」といった願いからも察しがつくと思いますが、ここは「諸芸上達の神」として、舞台芸術等をめざす人々の信仰を集めているようです。

ここには「生玉神社の段」を紹介する案内板もありますので、曽根崎心中』を偲んで生玉神社に足を運ぶさいには、ぜひ訪れておきたい社です。思いのほか、静かで落ち着いたたたずまいなので、昼下がりに一息いれるには絶好の場所かもしれません。


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カラフルな道案内

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浄瑠璃神社を正面より

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やはり曽根崎心中の話題は必定

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近松門左衛門と同時代に元禄文化をリードした井原西鶴の像もあります

※参考サイト

http://ja.wikipedia.org/wiki/生國魂神社
ウィキペディア
http://www.osaka-info.jp/jp/search/detail/sightseeing_2174.html
大阪観光コンベンション協会

※「#曽根崎心中」にかんするお問い合わせはinfo@doublesuicide.jpまでご連絡ください。